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ブログの完全移行 [その他・雑記]

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 こちらのブログ用の容量の上限の1GBが近付いたことと、以前より思うところありまして、So-netブログは既に休止して久しいですが、現在は完全にFacebookに絞って毎日のように色々アップしています。
 Facebookではこれまで通り車やバイクのネタももちろん多いのですが、「写真」ページの「アルバム」をご確認下さると分かりますように、フィルムカメラの記事を充実させています。最近では、神奈川の閉鎖林道歩きをしながら写真を撮る楽しみを知り、それが高じて本格的に日帰り登山を始めていますので、それらのレポも増えてきました。また、シーズンになればルアー・フライフィッシングももちろん続けていますので、それらのレポも続けていますし、アルバムとは別にtwitter的な小さなつぶやき的なネタも毎日のタイムラインに気軽にアップしています。
 今後はまずSo-netブログでのアップはしないでしょうが、もしまだ当方の画像やレポート等に興味がございましたら、どうぞF.P.M.M. @ Facebookをご覧下さいね(^∇^)v

顧客を軽んじる奴だった@so-netに幻滅… [その他・雑記]

so-net、最悪…。
 自分は98年にパソコンを使い始めてからずっとso-netでしたが、長年使い続けてきたユーザーを簡単に踏みにじるような冷たいことをするんですね。
 実は、99年からso-netのHPスペースを使ってきましたが、容量は昔から変わらず無料で5MB、有料で10MBなんです。今時10MBですよ。それで、当然足りないので、独自にHoopsやGMOでドメインとレンタルサーバーを取ってそこで色々なサイトの運営をしてきましたが、3年前にやっとso-netがレンタルサーバー+ドメインのサービスを始めたんです。待ってましたとばかり早速食い付いて、Web上から申し込みをすると、あっさり取れたのはいいけど、従来のホームページビルダーやFFFTP等のファイル転送ソフトが使えませんでした。
つまり、一般的なftp.ではなく、別のものですから、ソフトがそもそも受け付けてくれないので話にならず、so-netに相談しても訳分からない記号のことを言うだけでさっぱり分からなかったので、しばらく粘ったんですが、結局一度もサーバーに到達することなく2012年9月に解除の申し込みをしたんです。
 その後、GMOから同じドメインが取れたので、当然so-netのドメイン+サーバーは切れていると思っていましたら、今月の明細を見るとプロバイダーだけの料金にしては高い3千数百円の請求だったので、「おや?」と今更気付いて問い合わせたところ、サーバーだけそのまま料金が発生していました。登録した時にはサーバーもドメインも同時にWeb上でできたのに、出る時はドメインはWeb上でできるけれどサーバーは書類が必要とのことで、そんなことつゆ知らずで、入ったときと同じように出られると思っていたので、2年間毎月2千円ずつ多く支払っていたことになります。
 全く利用していないので返金して欲しい旨を伝えると、so-net側で細かく協議した結果が「否」。理由はWeb上でもメールでもサーバーは書面でと明記されているからの一点張りで、何を言っても受け付けてくれませんでした。
 そもそも、入るときはドメインもサーバーも同時にWebで登録できて、出る時はドメインだけWebで、サーバーは書類を送ってでないといけないと言うのは、入りやすく出づらい悪徳商法みたいなもので、しかも1バイトも使っていない(入れませんでしたから)ユーザーに対して全く返金に応じる姿勢を見せずに「so-net側で検討させて頂いた結果ですから」一辺倒では、納得できませんね。もちろん書面を熟読していなかったこちらにも当然落ち度はありますが、入るときは両方同時にWeb上でできたのですから、当然出る時も同じように同時にできるもんだと思ってましたし、他社のものは皆そうできました。それをso-netに伝えて、その登録システムに多少なりとも問題があるからこうしたトラブルになったんでは? それをしっかり受け止めて、長く使ってきたユーザーに納得させられるような対応をして欲しいと言っても、全くダメでした。何も全額戻してくれと言っているのではなく(そりゃ全額返ってきた方がいいですが)、半額負担するとか、別に何らかのサービスで補うとか、柔軟に対処してくれればこちらも折れますが、全くダメですね。
 長く使ってきた顧客を大事にしないのなら、もうso-netはやめて他に移ろうかな。

ようやく山が見えていた@済州島旅行記2 [その他・雑記]

F14年6月18日漢拏山-520.jpg
 初日こそ夕方からの雨でしたが、2日目には梅雨入りしてしまった済州島で、前半は北部と東部の観光地を回りましたが、3日目の18日は幸い午前中が曇り・午後には晴れるとの予報で、予定通りおっかさんのゆかりのおばさんが暮らしている南部の西帰浦市に向かうことにしました。当初、済州島はソウルや釜山等の都市と違って交通量も多くなく、レンタカーで動き回ろうと考えていましたが、前半2日間で道路標示にある町の名が皆ハングルで書かれていて、ほとんど道も分からないので、ちょっと危険ですから諦めました。せっかく取った国際免許ですが、案内が読めないと話になりませんからね。一応、大学生の頃に1年間韓国語を習い、ハングルは意味こそサッパリ分からないですが、読むことはできます。でも、1つの単語を読むのに「えーと、サじゃないソ…、次はキだっけか、そんでパ、いやプではなくてポだな」なーんて具合ですから、表示を見ている時間が異常に長くなって前を見ていられなくなっちゃいますからね(^∇^)。結局、レンタカーは最後まで使うことなく、日本に比べてかなり格安なタクシーを利用しました。
A14年6月18日西帰浦行きバス-520.jpg
 西帰浦市は島の南岸で、北岸にある済州市からは空港発のバス路線があって、途中いくつかのホテルに停まりますが、ほぼ直通のものでした。値段は550円くらいですから、距離からするともの凄く安いですね。
 済州島には日本のような「高速道路」はありませんが、主要な幹線道路は郊外に出るに従い、最高速度表示が70km/h・80km/hとなって、自然と高速道路的な雰囲気になります。つまり、有料道路ではないですから料金所は当然ありませんので、真っ直ぐ走っていたらいつの間にか自動車道になっているような感覚です。しかし、済州島の道路は車線の幅が狭くて、バスやトラックが走るにはいささか余裕がなさ過ぎですね。
 西帰浦市内の終点になるホテルには、およそ1時間半ほどで到着しましたが、午前中は予定がないので、やはり現地でタクシーを借りて少しだけ観光名所を回ることにしました。
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 市内で乗り込んだタクシーの運ちゃんは日本語が分からないので、ガイドブックを見せてそこに連れて行ってもらいましたが、まずは画像の天地淵滝に向かいました。ここは正式な入口からは入らず、運ちゃんが機転を利かせてくれて、わざわざお金を払って見なくても良い所に連れて行ってくれ、そこから滝の全体像を見ることができました。本来なら写っている観光客と同じように、お金を払って階段を延々と下り、下から見上げる感じになるようですが、足が弱っているおっかさんにはこれで充分です。ちなみにこの滝は川からの水が流れ出ているのではなく、地下水があふれ出た淵からの水になりますが、かなりの水量ですね。
C14年6月18日正滝-520.jpg
 お次に回ってもらったのが、近くにある正房滝。こちらもわざわざ入場料を払うことなく展望できる高台の運動公園に連れて行ってくれ、そこから見ることができました。ただ、遠くからの俯瞰になるので、ちょっと迫力には欠けますね(笑。
D14年6月18日西帰浦市内徐福公園-520.jpg
 お昼頃になって、そのままタクシーの運ちゃんにおばさんの住所を伝えて送ってもらい、しばらくおっかさんをおばさんのところで遊んでいる間に、ワテ1人で海の方に歩いて行って、せっかく釣り道具を持って行ったので、形だけでも竿を出そうと言うことになりました。画像は海岸近くにある徐福公園で、何でもこちらでも韓国時代劇が撮影されたらしいですが、ワテには釣りの方が大切なので中には入りませんでした(^∇^)v
D14年6月18日西帰浦市内-520.jpg
 海岸に出る途中にあった橋から川を覗き込むと、前日に降った雨がもうこんな具合で枯れ果てています。川底はコンクリートみたいに見えますが、天然の岩石を削っただけのものです。
D14年6月18日西帰浦の海辺-520.jpg
 西帰浦の海は磯になります。ちょっと沖合いで海女さんが実際に潜って何か採っていましたが、この辺にどんな魚がいるのかはワテには全く分かりません。水はさすがにきれいですが、何か伊豆半島の磯を見ている感じです。
D14年6月18日西帰浦市内釣り-520.jpg
 色々釣りのできそうなところを探して防波堤のあるところにたどり着き、そこから竿とリールを出して小型ルアーを投げてみます。透き通って見える海には魚が泳いでいる姿は一切見えません。岩場に根魚が隠れているのかも知れませんが、とりあえず「釣りをしたと言う事実」が大切なので、釣果など関係なくルアーを投げます。ま、ベラか何か小魚が掛かれば有り難いですが、正直言ってなーんも掛かりませんでした(;´д`)。餌釣りなら何か釣れたかも知れませんが、ウルトラライトのパックロッドではどの道大物は無理ですからね。
F14年6月18日海岸の水汲み場-520.jpg
 午後3時頃におばさんのところに戻ると、平日ですがおばさんの親戚の方が車で来てくれて、いくつか面白いところに連れて行ってくれました。画像は西帰浦のちょっと西側にある磯なんですが、後ろのたまった水は海水が満潮時に残ったものではなく、何と地下水が湧き出たものでして、実際手で汲んで飲むとおいしい真水でした。昔はこの一帯の家庭で皆が瓶を背負ってここに来て、湧き水をすくって飲料水等の生活用水にしたんだとか。それにしても、磯で真水とは意外でした。
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 この辺りが元々海女さん達が住んでいたところだそうで、今でも石積みの壁と車の入れない狭い路地の先に家々が並んでいました。しかし、現在では海女さんの平均年齢が50歳を軽く超えるように、後を継ぐ若い人がいないのだとか。結果として、この辺の皆さんも漁業から別の仕事で生計を立てている場合が多いそうです。
H14年6月18日済州島の白バイ-520.jpg
 市内で見かけた韓国の白バイ。重々しいハーレーのVツインが使われていましたが、これでは高性能なバイクを追いかけられないでしょうね。一応韓国にはバイクメーカーもありますが、考えてみると韓国製の大型スポーツバイクって全く知りませんね。それに、済州島ではスクーターを含めて、ほとんどバイクが走っている様子を見ませんでした。あまり需要がないのかな?
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 夕食はおばさんらに勧められた高級なレストランで。面白いことにメニューは20cm四方の板にハングル文字が並ぶだけの実にそっけないもので、日本人や中国人、その他外国人を相手にしていないようで、本土の韓国人観光客がターゲットみたいです。見ても何がなんだかわからないので、おばさんの勧めるまま料理を注文します。
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 西帰浦と言う土地柄から、海鮮鍋を取りましたら、色々な貝類が入っていて結構美味しかったです。アワビは5cm位の小さなものが四つ入っていて、大きなカラス貝(食用なんですね)やサザエの切り身のようなものが野菜と共に煮込まれていました。おっかさんとおばさんらはウニやサザエの塩辛がたっぷり入った冷えたスープのようなものを取っていました。こちらのキムチは済州市内の店とは異なり、変なリンゴの味は皆無で食べやすかったです。焼肉店ではないのでガス台はないですが、海の幸が堪能できて良かったです。お勧めしたいのですが、言葉が分からないと注文すらできませんから、やはり誰か1人でも韓国人の仲間がいない場合は無理でしょうね。
 食事を終えるともう7時近く。おばさんらと分かれて帰りのバスを待ちますが、7時15分には乗って帰ることができました。しかし、空港までですから、そこからまたタクシーでホテルまで帰ることになり、何だかんだ言って結構遅くまで外にいたことになります。しかし、この日は朝から晴れ始め、午後にはずっと見えなかった漢拏山もやっとその姿をうっすらと拝めるようになりましたちなみにトップ画像がそれですが、手前のくっきりした山ではなく、後ろにうっすら見える似たような形の山が漢拏山です。秋晴れの日に見たらきれいでしょうね。

A14年6月19日水月峰-520.jpg
 いよいよ最終日になる19日、4時までに済州国際空港の出発ロビーに行かなければならないので、そうあちこち見て回れませんが、まだ島の西側に行ってないので、そちらに向かうことにしました。ただ、ガイドブックでは西にはそう魅力的なところはなく、目星を付けていたのはせいぜい2箇所。こうなるとまた初日・2日にガイドも兼ねてくれたタクシーの運ちゃんに連絡して、夕方まで付き合ってもらうことにしました。
 ホテルは9時半にはチェックアウトして、荷物ともどもタクシーに乗り込んだのは10時頃。まずは西の端にある水月峰を目指します。今回は海沿いの道を通ってくれたので、所々でのどかな海の風景が見られました。

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 水月峰は済州島の西端にある岬ですが、高台のようになった公園で、右に遮帰島・臥島を望み、左に太平洋に通じる大海原を果てしなく広がる景勝地です。ただ、やはり春の終わりから夏場は、遠景が霞んでしまいますね。それでも、風の強い展望台からの景色は爽快でした。
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 次に、もう少し南下して、前日向かった西帰浦の少し西側の大静邑・安徳邑方面に向かいますが、途中運ちゃんがわざわざガイドブックに載っていないところに連れて行ってくれました。ここは済州島では珍しく広い農地が続く一帯でしたが、何か変わった切り欠きのある防空壕のようなものがいくつもありました。ナンだろうと思っていたら、運ちゃん曰く、ここが旧日本軍の飛行場跡で、戦後この土地を農家に貸し与えているのだとか。
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 その壕は戦闘機を隠しておくためのもので、上部は草が生い茂っているために上空からは飛行機が見付からないようにしていたものでした。この穴の中には戦闘機の模型のようなものが置かれていましたが、大戦中の傷跡として敢えて残しているのだそうです。しかし、この旧日本軍の飛行場は、前回書いた例の四・三事件の時にこの付近の民衆が集められ、大量に虐殺された場所でもあり、今でも地下に多くの人達の骨が埋まっている可能性があるそうです。
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 その奥に追慕亭と言う公園のようになったところがあり、ここが四・三事件で犠牲になった一般市民を追悼する合同墓地になっていました。こうした施設も、21世紀になってようやくできたもので、まだまだ新しいものでした。
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 この蟻地獄の巣のようになったところが合葬された穴で、他にもう1つありました。そしてその近くには大きな石碑が立っていて、可能な限り分かっている人の名が刻まれていましたが、どの骨が誰のものかはもちろん分かりません。これらが10数年前までは軍事政権の下でひた隠しにされ、無念の遺体が土中で呻いていたと思うと、本当に恐ろしい話ですよね。
D14年6月19日龍頭海岸-520.jpg
 さて、追慕亭を後にして、当初の予定通り大静邑にある龍頭(ヨンモリ)海岸を目指します。ここはやはり何かの韓流ドラマのロケ地になったそうで、切り立った火山の断面に囲まれた狭い海岸になります。洞窟が下の方に見えますが、この岬になった向こう側の方が美しい景色が広がっているようです。そのためには丘の上の公園を歩いて行かねばならず、時間的に厳しくなるので上から写真を撮るだけにしました。
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 龍頭海岸からもう少し西帰浦方面に進むと、安徳渓谷の遊歩道があります。ここは川のほとんどない済州島には珍しい渓谷ですが、ガイドブックに写っているきれいな渓谷ではなく、水はまるで霞ヶ浦状態(;´д`)。何でも最近になってこうなっちゃったそうですが、山側の地域での開発によって、地下水に濁りが出てしまったのかも知れませんね。わざわざ歩いて見に行くようなものではなかったです。済州島の韓国人が日本の美しくも激しい渓谷の自然を体感したら、どんな感想を抱くんだろうな…。
F14年6月19日天帝淵1-520.jpg
 安徳渓谷からさらに東に進み、もう西帰浦市内に入りますが、前日には見に行けなかった天帝淵滝に向かいます。済州島にはこうした火山岩を加工したモアイのような人形が至る所に立っていますが、ここにあるやつはタクシーの運ちゃんによると一番可愛いものだそうで、写真を撮るならこれにしなさいと勧められました(^∇^)。それにしてもこの顔付き、眼鏡かけて太った最近のワテの顔に似ていなくもないですな(笑。
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 天帝淵は一周できる遊歩道のある公園になっていて、全て回ると結構な時間を費やします。駐車場も完備されているせいか、中国からのツアー客も非常に多く、人気の観光スポットになっているようです。画像は中に入って最初にある歩道橋から見た滝から下流の川で、滝の水量に対しここではもう水は枯れ気味。すぐに地中に吸い込まれてしまうみたいです。
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 先に進むと結構な水流の滝が見えてきました。階段があって下に降りられるようになっていましたが、お目当てはこの先の淵ですから、ここは上からの眺めだけを楽しみます。木々が上を覆っているので、結構涼しかったですが、標高が高いところにある訳でも何でもないので、日本の深山幽谷のようなひんやりした爽快感はありません。
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 これがお目当ての天帝淵。この溶岩の段差にある隙間から地下水が流れ出てきて、このコバルトブルーの淵を作り上げています。この水が流れ出て、前の画像の滝になって下に流れ落ちますが、海まで流れ出る前に再び地中に吸い込まれてしまうんですね。それが前日の磯の湧き水のように海に近いところでまた湧き上がるように、出たり入ったり忙しいことになってます(^∇^)v
G14年6月19日鳥島-520.jpg
 美しい天帝淵を散策し、そこから目と鼻の先の海岸に出て鳥島を眺めます。この辺りはかなり遠浅のようで、砂と磯が混在しながらずっと先まで続いていました。まだ水温は低そうですが、既に海水浴をしている人も見かけましたが、寒くないのかな?
H14年6月19日西帰浦食堂-520.jpg
 昼食は西帰浦市内の定食屋で。冷麺とトンカツがあったので興味津々で注文してみました。冷麺は汁と麺以外は大根ときゅうりを細く切ったものとゆで卵だけ。味もやはり果物系の味が強く感じられ、どうもダメ。左はトンカツらしきものですが、ナンだかハムカツみたいなものにソースと柔らかい液状のからしにマヨネーズみたいなものが掛かっていて、なぜか揚げたギョーザが二つケチャップが掛かった状態で添えられていました。「これが向こう風に独自進化したトンカツか…。うーむ、微妙…」と思いつつ一通り平らげて待たしておいたタクシーの運ちゃんにお土産の弁当を買って戻ります。
 帰り道はまだ一度も使っていない、漢拏山麓を通るワインディング路を指定して、ドライブを楽しみます。標高で900mのところを越える峠道ですが、主要幹線道路の1つですから、良く整備されていました。済州島に日本のようなオフロードの林道はないかと尋ねましたが、道そのものが多くなかったせいか、ほとんど舗装されているそうです。もちろん獣道のようなものはいくらでもあるでしょうが、それも日本の登山道のように多くの人が利用するような感じではなく、それこそ本当に獣の通り道のような状態のようです。ここでは渓流や湖での釣りも林道ツーリングもできませんねぇ(^∀^)。
H14年6月19日おばけ道路-520.jpg
 済州国際空港に戻る前に、最後の観光スポットである「おばけ道路」に連れて来てくれました。画像のように奥から下り坂になって、今度は上り坂になったように見えますが、実は下り坂のままで、実際にタクシーの運ちゃんはエンジンを切ってここで惰性で上りに見えるところを下って見せてくれました。ここにも露店のような店ができていて、バスの駐車スペースも確保されていて、無料ですからパックツアーの観光スポットとして良く利用される所みたいです。確かに画像を見ても上りになっているように見えますが、下りなんですよね~。
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 午後3時過ぎに空港に到着。この人が日本語が堪能な運ちゃんの朴さんで、4日のうち3日も世話してもらいました。最終日も島の裏側まで走って1日1.2万円ですから、本当に格安ですよね。済州島に旅行する際はこの個人タクシーの朴さんにまたお願いするでしょうが、その前にこの後行くかどうかは分かりません(^∇^)。
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 フライトは6時過ぎの便で、8時半には成田に到着できました。帰りの便は妙に混雑していましたが、上手いことにワテらの席だけ1つ空いていて、他は3席ともギチギチのところ、荷物を空席に置いたままゆったり座っていられました。
 成田では民間駐車場の迎えのマイクロバスがなかなか来ずに面倒でしたが、何らトラブルもなく横浜に戻ったのが夜11時過ぎ。さすがに疲れたのでバタンキューでした。
 ところで、今回の済州島旅行で感じたことですが、自然の美しさは正直言って日本の方がずっと多彩で上質ですね。しかし、韓国・済州島独自のものはここでしか体験できないので、それらを中心にゆったり島を一周すると飽きないでしょう。しかし、日程は2泊3日で充分かも。ワテは初めから興味がなかったですが、人工の遊興施設、例えば迷路の公園とかモアイ像のようなトルハルバンの公園とか、はたまたなんちゃらかんちゃら博物館みたいなものが色々あります。まぁ、正直言って見る価値があるとは思えないものが無駄に多いようですが、ベスト5は済州市内の観徳亭、東部の万丈窟、済州海女博物館、四・三平和記念公園、西帰浦市の天帝淵ですね。これらを中心に旅行を組み立てると面白いものになりそうですが、食事は海産物の鍋物がお勧めで、半分はホテルの洋食にしても良いかも。せっかく済州島に来たのだから、ご当地グルメと思っても、我々の舌には合わないものも多いです。そうは言っても、なかなか充実した濃い経験を味わうことができて、おっかさんともども楽しめました。釣れなかったけど\(^∇^)/    (完)


梅雨に入った島だった@済州島旅行記1 [その他・雑記]

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 6月16日(月)、おっかさんと2人で済州島へ3泊4日の旅行に行ってきました。このところ日韓関係が怪しくなって、韓国への日本人旅行者が大幅に減っているそうですが、正直言ってワテもソウルや釜山等には全く興味がなく、韓流やK-popとか呼ばれるものにもほとんど目が向きませんから、韓国ははっきり言って「面倒な国」のようなイメージがありましたし、今も変わりません。しかし、あちらの国では唯一のリゾート地とも言える南端の済州島は自然も豊かで面白そうだとは思っていましたし、母のゆかりの人も住んでいて、せっかくだから一度行ってみるかと言うことで選んだ場所でした。
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 当日は朝7時45分に成田空港内で旅行会社のチケット受け渡しがありますから、5時半には横浜を出ておかないといけません。車は旅行バッグが余裕で積めるMyハニーちゃんにしておきましたが、空港周辺の民間ガレージに4日間屋外駐車することになりますし、平日だから高速料金も安い軽はベストマッチですね。
 成田までは首都高湾岸線+東関東道でおよそ1時間半。早朝ですんで混雑は一切なしですから、時間に余裕ができたので、酒々井PAで軽く朝食を取って空港に向かいます。
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 日本旅行社のツアーですが、観光地巡りのパックツアーは申し込まず、往復便と現地の担当者だけが済州空港内でチケットを受け渡ししてくれることと、ホテルを取ってくれるだけのもので、観光名所等は自分で好きなところを回れるようにしておきました。そのため、現地でレンタカーを借りて走るために、生まれて初めて国際免許証を交付してもらいました。
 飛行機は大韓航空のエコノミーですが、ホテル代込みで5万ちょい。海外旅行も安くなったもんですね。
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 9時に出国審査を済ませて準備して、10時20分にいよいよフライトです(フライト時の動画をこちらにアップしました)。しばらく窓の外を見ていますと、三浦半島から江ノ島、湘南海岸から伊豆半島が見え、結構太平洋側沿岸を飛んでいるみたいです。トップ画像は富士山の山頂が見えた時に撮ったものですが、さすがに雲が取り巻いてましたね。
 2時間ほどで済州国際空港に到着。ちょっと雲が多くなっていましたが、ニュースでは翌日から済州島もいよいよ梅雨入りだそうで、九州の北側にありますが日本より若干遅い入梅ですね。
 空港ではあまり細かい審査を受けずに出ることができましたが、日本旅行と提携する現地のガイドさんによると、レンタカーを借りるのと1日タクシーで移動するのとではあまり値段に差がないことと、日本語のできるタクシーの運転手さんを紹介してくれて、とりあえずこの日はそれに従うことにしました。ホテルにチェックインできるのは3時ですから、それまでは免税店で時間潰しになります。
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 マイクロバスで連れてこられた免税店は中国人観光客でごった返し。ワテらは別段買いたいものもないので、どうでも良かったので、さっさと外に出て街中の様子を見てきました。
 済州島は大通りに車を止めているとレッカーで持っていかれちゃうせいか、ほとんど路上駐車している車が見えませんでしたが、ちょっと路地に折れるとご覧のように左右で止め放題。これは駐車可な訳ではないんですが、これだけ止められると警察もどうにもできないそうです。しかも、済州島の家で駐車スペースを設けているところは非常に少なく、有料駐車場も作ったところで皆路駐してしまって商売にならないようで、ほとんど見かけません。この道も一方通行でも何でもないのですが、止める向きなど全く気にしていないようですね(^∀^)。なお、韓国は右側通行で、右折は常時可です。また、時折ロータリーの交差点も見られますが、街中の主要部分以外では信号機がほとんどなく、歩行者優先の意識もないようで、歩いて道を横断するのはかなり大変ですね。
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 免税店周辺で時間を潰し、日本語のできる個人タクシーの運転手さんを呼んでもらい、ホテルに荷物を置いて、ようやく観光地に向かいます。この日は時間的に遅くからになりましたので、済州市内から近場の観光名所を運転手さんに頼んで教えてもらいました。画像は済州市内からちょっと東に進んだところにある海岸です。天気がどんより曇り始めていましたが、海水はさすがにきれいでしたね。でも、こんな磯なんて日本にはどこにでもあるので、これと言った面白さはないです。
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 済州島は中心部に漢拏山(ハルラサン)がそびえ、その火山の隆起でできた島だけに、海岸はほとんどが火山岩による岩場です。わずかに砂浜があって、そこが韓国の本土から来た人達にとって格好のリゾート地の海水浴場な訳ですが、正直言ってワテらには見て楽しむ所ではないですね。
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 最初の海岸からちょっと移動し、ガイドブックにあった竜頭岩を見に行きます。ガイドブックの写真は満潮時なのか、手前の岩場は水中ですから、竜の頭のような形の突起が目立って見えます。しかし、これまた日本ではもっと凄いものがいくらでもありますから、「ま、こんなもんね」くらいの印象でした(笑。
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 竜頭岩から一気に東に進み、定番の観光名所の万丈窟に向かいます。ここは駐車場も用意されていて、本土や中国からの観光ツアーの客がバスで移動して来ていました。欧米人のグループもいましたが、日本人は1人もいませんでした。火山の流れで作られた長い洞窟で、全長が2kmほど続いているうち、公開されているのは1kmほどになります。
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かなりひんやりして気持ち良いところでしたが、足腰の弱いおっかさんにはさすがに1km往復するのは苦しいので、半分だけ進んでゆっくり1人で戻ってもらい、ワテが単独で一番奥まで早足で進んで戻りました。この先はかなり足場が悪くて進むのは厳しいようです。
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 外に出るちょっと前におっかさんに追い付きましたが、洞窟までは結構長い階段を下りたので、帰りが大変ですね(^∀^)。でも、この日では初めて面白いところを見ることができて良かったです。
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 万丈窟から少し距離がありますが、やはり島の東側の山沿いにある城邑民族村に移動します。この地域は昔ながらの家屋を残し、今でもそのまま人が暮らしているところで、この区域は屋根も藁葺きしか認められないのだそうです。ちなみにここも観光ツアーの通り道のようで、大型バスが止まっていました。タクシーの運ちゃんもちゃんと馴染みの家があって、そこにワテらを連れて行きました。
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 その家のおばさんは日本語ができて、ぺらぺらと色々コミカルに家の様子を説明してくれます。これは向こうの便所で、画像では見えないですけど左側の岩が一部平坦で低くなっていて、そこでしゃがんでブリっとやるそうです。黒豚が飼われていますが、昔はこうして糞も豚の餌にしていたそうで、男性はナニを噛まれる恐れがあるので、竹の棒が置かれていて、用を足している間はその棒で豚を追い払うのだとか(^∇^)。もちろん今ではこんなトイレは使っていませんが、観光用にこうして残している訳です。
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 ここは厨房。やはり当然ここで料理など今はしていませんが、ちゃんと残しておく義務があるんだそうです。韓国では土間が多くて、いつもしゃがんで作業していたようですね。部屋の中でも座る時は女性でも片膝を立てるようにして、もう一方はあぐらをかくように曲げて座っていますが、日本のように正座する風習はないようです。
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 民族村は一般の家屋だけではなく、こうした石積みの壁や門が作られていました。昔の城壁のようなものを復元していますが、なかなか雰囲気は良かったですね。しかし、ツアー客に面白おかしく説明してくれたおばさんは、最後にやたら冬虫夏草のお茶の効能を宣伝し、それを察したおっかさんが離れていましたら、やはり締めくくりでその自家製のお茶を50万ウォン(5万円)で売り付けようとしていました。こうして観光客を言葉巧みに相手にして商売しているんでしょうね。もちろんそんなものは不要なんで、さっさとその家から出ちゃいました(笑。
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 城邑民族村に着く頃には雨が降り始めましたが、まだ小降りでした。ただ、時間がもう遅くなるので、ホテルに戻ることにしましたが、タクシーの運ちゃんが市内の中心部にある大きな観徳亭の建物の前で止まってくれて、ちょっと記念撮影。この辺りは駐車場がないので、大型観光バスはやって来ないみたいです。この日は外側だけ見て終わりましたが、中に色々あるので翌日にじっくり見ることにします。
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 今回利用したホテルは一応5つ星の付いていた済州KALホテル。しかし、設備は日本のビジネスホテル並みで、カーペットなんかは汚れが目だって汚らしかったです。トイレ・洗面所と一体の風呂も情けないことこの上なし。しかも、ナンとWi-Fiが有料で、1日17000ウォンもするので、バカらしくなってiPhoneでの通信は一切しませんでした。他のホテルは無料だと聞いていましたから、今回は5つ星に騙された格好になりましたが、もし済州島に行かれる方がいらっしゃったら、このホテルはダメダメくんですよ。
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 食事もセットにしませんでしたから、自分で市内の店を探します。完全に雨が降ってきましたから、歩くのもおっくうでしたが、色々回って決めたのがこのサムゲタンのお店。「いらっしゃいませ」と仮名表記があったので、日本語もある程度できそうでしたが、お店は個人でちんまりやっているタイプのものでした。おばあちゃんと嫁のおばさんがいましたが、息子が大阪で暮らしているそうで、日本語も片言ながらできました。
 ここで食べたものはサムゲタンと海鮮チゲ鍋。どちらも美味しかったですが、いっぱい付いてくる小皿のキムチ類は正直言って日本のキムチに馴染んだ舌には合いませんでした。向こうではどう言う訳かリンゴをすりつぶしたものを漬け込む辛子とにんにくのタレに入れるようですが、はっきり言ってあれはダメですね。皆さん、リンゴや梨等の果物を醤油のタレに付けて食べることを想像してみて下さい。そんな感じの味でしたので、何とか食べようと思いましたが無理でした。メインディッシュが美味かっただけに惜しいですね(^∇^)。
 さて、食事を済ませて、翌朝の朝食用にカップラーメン等をコンビニで購入してホテルに戻って一休み。朝が早かったこともあってぐっすり眠れました。

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 さて、日付が変わって17日(火)、いよいよ済州島もこの日から梅雨入りになり、前日夜から降り続いた雨の勢いが少し強まりました。しかし、土砂降りレベルではなく、普通の雨という感じでしたが、風だけは時折強く吹くので、持って行った折り畳み傘ではちょっと心許ない感じでした。済州島は火山岩だらけの島で、市内にいくつもの橋があって川らしきものがあるんですが、雨の日以外はいつも水が地中に吸い込まれてしまって枯れた状態になります。日本でも上流にダムができて、水の確保のために夏季に放流を止めることで、下流が干からびた状態になる光景を時折見かけますが、正にあの感じが済州島では通年になります。そこそこの降水量があった時だけ画像のように吸い込み切れなかった水が細い川になって海に流れますが、この程度ですと翌日にはまた枯れています。ほとんどが地下水になって蓄えられるので、昔は湧き水を汲んで生活用水にしたそうですが、今は水を地下から直接汲み上げて使っているそうです。確かにダム湖など作りようもない地質ですから、それも仕方ないでしょうが、雨量は多いので地下水は豊富なんだそうです。以前日本でも水不足になった時に済州島のミネラルウォーターが大量にスーパーで売られていましたが、現地では水道が日本のようにきちんと管理されておらず、せっかくの地下水でも蛇口からの水はそのままでは飲めない場合が多いです。ですからコンビニ等でのミネラルウォーターが飲料水としてたくさん売られていましたね。
14年6月17日B三姓穴-520.jpg
 話は横道に逸れましたが、この日は予報でも一日中雨でしたので、とりあえず午前中はホテルから歩いて行くことのできる観光スポットに目星を付けておきました。それで、まずはホテルから200m位の所にある済州特別自治道民族自然史博物館に向かいますと、入場券売り場の窓が閉ざされていまして、丁度この月は館内の工事のためにしばらく閉鎖中になっていました。資料ではなかなか面白そうな感じだっただけに残念でしたが、すぐ隣の三姓穴と言う済州島古来の国である耽羅国の始祖とされる三神人がここから生まれ出たとされる遺跡です。しかし、ガイドブックでは木の杭が円形に差されたわずかな陥没があるだけで、面白味に欠けるので、当初は入る気はなかったのですが、博物館がダメだから仕方なく入ろうとしたらそんなショボいものでも入場料を要求されたので、入らず出てきちゃいました(;´д`)。
14年6月17日C1観徳亭-520.jpg
 次に、海側に坂を下って進み、地下街が延びるところの先にあった観徳亭に向かいます。前日にタクシーの運ちゃんが入口前で止まって表側だけで記念写真を撮りましたが、この日は徒歩でしたから、駐車場の心配もなくチケットを買って中に入ってじっくり見て回りました。
 ここは李氏朝鮮時代に置かれた済州島の総督府で、表側の大きな建物は公開されていますが、城壁の内側にはたくさんの建物があって、これらが韓国時代劇の撮影場所として良く使われたそうです。もちろんこの公園は近年になって復元されたものですが、大変良くできていてオススメ観光スポットですね。しかし、ワテらの他には雨と言うこともあってか、誰もいません。こんなに面白いところなのに何ゆえ人気がないのかと思いきや、実は中国人や日本人向けのパックツアーでは大型バス等の車を駐車させられる場所がなく、ツアーのコースから外されちゃうようです。おかげで、じっくり見て回れて面白かったです(^∇^)v
14年6月17日C2観徳亭-520.jpg
 雨ですが、このように全ての建物は扉が開かれていて、それぞれの建物がそれに応じた役目の役人(例えば勘定方なら帳面に何かを書き込む役人)の人形が据えられ、なかなかリアルで見ていて飽きませんでした。
14年6月17日C3観徳亭-520.jpg
 こんな風に旅行客用に記念写真を撮ることができるような配慮もされていましたが、この役人は何を担当しているのか等は一切分かりませんです(笑。
14年6月17日C4観徳亭-520.jpg
 こちらは役人(右)に尋問される一般人を模したもので、今で言う警察署のような施設が入った建物です。ここも観光客が入れるようになっていましたが、昔の日本と違って朝鮮は中国の文化がより強いせいか、椅子と机が多く用いられていたようですね。
14年6月17日D1済州海女博物館-520.jpg
 観徳亭でじっくり見学して出たら、もうお昼です。戻りながら地下街の中で定食屋のような店を探して昼食を取りましたが、ワテが注文した冷麺も、おっかさんが食べたクッパも、味はダメダメですね。値段は若干日本より安いものの、決して大幅に安い訳ではないです。ただ、どの店も前菜と言うか色々なキムチが小皿で出てきますが、それも込みの値段ですから、格安なことは間違いないですが、どうも済州島のキムチの味付けは独特で、果物系の風味がちょっと受け入れられませんね~。
 昼食後、まだ時間がタップリあるので、このまま帰ってしまってはもったいないですが、かと言って雨ですから、見られる場所は限られています。ここでまた初日に紹介してもらったタクシーの運ちゃんに電話して、午後に東側の屋内で楽しめる観光スポットに向かってもらいました。それが画像の「済州海女博物館」です。済州島は火山岩質の地盤で、農耕には適さない土地が広がり、結果として農業より漁業が昔から盛んでした。しかも、この島には今でこそ杉の木が植林されていますが、元々しっかりした造船技術がなく、いかだ船でちょっと沖合いに出るくらいしかできなかったため、沿岸部で海女さん達による魚介類の採集が大きな生活の支えだったそうです。ですから、昔の済州島では女の子が生まれると祝い、男の子が生まれると落胆したそうですが、おかげで男性はぐうたら者が多い土地柄だったとのことです。
14年6月17日D2済州海女博物館-520.jpg
 博物館の中はとても充実していました。年代別に海女さんのスタイルが異なりますが、そうした変遷の歴史や漁具、住まい等、様々なディスプレーがあって面白かったです。ちなみにこれは一般的な海女さんの家庭の様子ですが、基本的に山間の村も同じ感じですね。厨房は日本でも昔は土間でしたが、韓国では部屋とは別の建物になっているか、壁で隔てられていて、直接内側から料理を住まいには持ち込めなかったみたいですね。
14年6月17日D3済州海女博物館-520.jpg
 これも家屋の様子ですが、臼やキムチ等を漬ける容器、干物を作る道具などが展示されています。日本の海女さんの文化も紹介されていて、ほぼ同じような形でそれぞれ昔から行なわれていた漁法ですね。
14年6月17日D4済州海女博物館-520.jpg
 これがまだ足ひれや水中眼鏡を持たなかった頃の海女さんの様子。大変リアルな人形が展示されていて、興味深かったですね。海から上がった海女さん達はこんな感じで火を焚いて体を暖めてから再び素潜りをしていた訳です。主に採るものはアワビとサザエ等の貝類
で、魚やエビ、カニ等はそう多くなかったようですね。
14年6月17日E2城山日出峯-520.jpg
 済州海女博物館で楽しんだ後、東の端の城山日出峰に向かいます。小さな火山の河口部が島になっていて、今では本島と繋がっています。ですから、普通に車で行けるのですが、景観に優れる観光名所でもあるため、観光ツアーバスで多くの人がやってきます。この日も風雨が強く、ここでは横殴りの雨になってましたが、山に向かう歩道を登る中国人ツアー客がとても多かったです。
14年6月17日E1城山日出峯-520.jpg
 階段を延々と登らねばならないので、足の弱いおっかさんはタクシーの運ちゃんと入口の店でコーヒーを飲んでいてもらい、ワテ1人で500ウォンの入場券を買って登ってきました。ただし、横からの風が強くて、傘がほとんど役目を果たしておらず、最後まで登るのは断念して半分のところでUターン。本来なら窪んだ火口部が見え、海の展望も素晴らしいところなんですが、何しろ天気が悪いので見晴らしについては全く期待できませんから、さっさと戻っちゃいました(^∇^)b
14年6月17日F1四三平和公園-520.jpg
 ワテが考えていたスポットはそこまででしたが、運ちゃんが良いところを紹介してくれて、そこに移動しました。東端からはしばらく内陸部に戻る感じですが、ちょっと遠回りする感じで戻る途中にあった「四・三平和記念公園」です。ここは韓国の黒歴史を表に出した歴史資料館で、済州島に行ったら必ず訪問することをお勧めします。日本語が堪能なガイドさんもいて、館内を一周して戻ってきたら悲しみで胸が詰まらされること間違いなしです。
 第二次大戦が終わって、ソ連のバックアップを得た金日成の北朝鮮共産党と、アメリカの後ろ盾で李承晩引き入る後の大韓民国の軍事政権とが対立し、北の共産主義から逃げてきた人が南の政府の役人になり済州島に送り込まれ、島の住民を虐げることを行って恐れられていました。と言うのも済州島には昔から政治犯が島流しにされることが多かったそうで、そうした活動家も多く、南北に分断されたまま南だけで大統領選を行なうことに反対した活動家が中心になって、島では李承晩が強引に行なう施政を是としないで、投票をボイコットしたそうです。これが「赤」としてとらえられ、勝手に共産主義者として虐げられるようになり、北とは無縁の若者達も一方的に「赤」と決め付けられて、山に隠れ住むようになりました。それを追って軍事政権軍があらゆる暴力を尽くして、女子供老人まで殺戮し、何と島民の1/5にあたる数の一般人が同じ韓国人によって殺されました。これが四・三事件ですが、長らく軍事政権が続いていたので、このとんでもない事件は隠蔽され、やっと軍事政権が終わった金大中大統領の時代になって初めて政府によって済州島民に正式謝罪が行なわれ、その後の
盧武鉉大統領の時に四・三事件の解明が指示され、この施設も建設されたそうです。
14年6月17日F2四三平和公園-520.jpg
 施設内では当時の破壊の様子がいろいろな形で再現され、そりゃもう凄惨に尽きる話で、全く無縁の我々でも目頭が熱くなるようなものでした。沖縄の人々が大戦末期にとてつもない仕打ちによって多くの命を失ったのは、敵国によるものであって、同じ国の人々に殺された訳ではありません。大韓民国を建国した李承晩の軍事政権は、同胞を「赤」の疑いだけで、政治とは無縁の弱者を大量虐殺をするのですから、本当に狂気の沙汰です。虐げられた島の活動家は、こうなると赤でも何でもないのに、逃げ道は北か日本しかない訳で、結果として大阪の生野区には済州島出身者が多かったそうです。で、その李承晩が国内で殺戮を繰り返していた時に、突如李承晩ラインを一方的に宣言し、竹島を武力占拠したのですが、彼らには相手と話し合って平和にやって行くような発想は皆無だったんでしょう。今の韓国国民は「独島は我らのもの」と言う前に、武力占拠した李承晩の異常さをこの施設でしっかり学習するべきでしょう。
14年6月17日F3四三平和公園-520.jpg
 虐殺されて白骨化した死体を掘り起こし、遺族が確認してももう既に誰が誰だか分からず、結局盧武鉉大統領の時代に真実が暴かれ、遺体を合同墓地を建設して合葬し、石碑を立てて複数の施設を建設したそうです。大戦が終わっても、南北で争った末に巻き添えを食らった島民の無念の声が、21世紀になってようやく表に出た形になりました。
14年6月17日F4四三平和公園-520.jpg
 これは当時の山に逃げた島民の成れの果てを再現したディスプレー。大戦末期の日本軍兵士も、東南アジアの森林でこんな感じで朽ち果てた人達が多かったんでしょうが、ここは一般市民がこうした目に遭っていた訳ですから、つくづく哀れですよね。
14年6月17日F5四三平和公園-520.jpg
 四・三平和記念公園の施設で、色々詳しく説明して下さったガイドさん。繰り返しますが、済州島に行かれるなら、是非この施設に寄ってみて下さい。島の自然や遊興施設ははっきり言って日本の方が豊かで美しい場合が多いですが、こうした歴史的なものは向こうでないと体験できないものですから、大変貴重な人生経験になるものと思われます。
14年6月17日G夕食-520.jpg
 四・三平和記念公園を後にして、ホテルに戻ったのはもう暗くなりかけていた時間で、前日と同様、坂を下ったところにある食堂が並ぶところにあった黒豚焼肉店に入って夕食を取りました。ここは前日に入ったサムゲタンの店とは打って変わって繁盛していて、客であふれていました。済州島では焼肉は牛ではなくて黒豚が普通で、意外と値段は高いです。ステーキみたいに大きく切った肉が2切れで1000円ちょい。細かく切ってあるやつもそうした値段で、それぞれ2人前と海鮮チゲを頼むと、2人で1万円コースですから、日本で食べるのと変わらなかったです。味は微妙でしたが、肉には味付けがなされておらず、焼いた後で小皿に入ったタレに付ける形で、そう美味しくはありませんでした。サンチュやゴマの葉、キムチ等はお替り自由ですが、やはりここもキムチは変な味でした。
 夕食を取ってホテルに戻りましたが、午前中と夜にたっぷり歩いたので、この日も疲れて風呂に入ったらもうバタンキュー。テレビのCS放送でNHKが入ったのは有り難かったですが、これってNHKは受信料を取ってるのかいな?(^∇^)b
 と言う訳で、2日間の前編はこれで終了。18・19日の後編はまた後日まとめてアップします!


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