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段差が多くて手を焼いた@筆ペンお絵描き [筆ペンお絵描き(車)]

DeltaS4-520.jpg
 ストラトス、デルタ・インテグラーレ、037ラリーと、ランチアのラリーカーを描いてきたので、締めくくりにはやはりデルタS4と言うことで、Fさんの愛車の画像を元に筆ペンで描いてみました!
 デルタS4はランチアのワークスラリーカーとしては唯一無冠に終わったモデルですが、実力は他のどの車よりも高いことはよく知られています。81年にアウディ・クアトロがデビューし、4WD車の優位性が証明される中、ランチアがGr.Bが始まる82年に送り出したのはストラトスと同じミッドシップ・リア駆動の037ラリーで、エンジンはヴォルメトリーコ(スーパーチャージャー)でチューンされたものを使っていました。それでも4WDとの戦いは苦戦が続き、翌83年に何とかWRCチャンピオンのタイトルをランチアにもたらしました。しかし、それもつかの間、84年にはまたアウディにしてやられ、さすがにもう2輪駆動車では限界であるのを実感したランチアは、新たなラリーウェポンとして、デルタS4を開発しました。84年途中にはプジョーからミッドシップ4WDの205ターボ16がデビューし、圧倒的な強さで85年のタイトルを収めています。
 ランチア・デルタS4がようやくデビューしたのは85年最終戦のWRCです。ここで姿形こそ市販のファミリーカーのデルタに似せてありましたが、中身は100%別物で、ミッドシップ4WDにアバルトチューンの1.75リッターDOHC4バルブ+お得意のスーパーチャージャーに加え、何とターボチャージャーまで装備したモーレツな車でした。ドライバーはヘンリー・トイヴォネンとマルク・アレンで、あっさりデビューウィン(1・2フィニッシュ)を飾ります。
 翌86年も初戦のモンテカルロで勝って2連勝。その力は計り知れないものでしたが、そのあまりにすさまじいパワーは最早人の操作できる域を超えてしまい、天才と言われたトイヴォネンがツールドコルスで崖から転落死して、行き過ぎた車の能力を押さえる意味で、Gr.Bが廃止され、87年からGr.Aがメインになりました。
 その86年のシリーズは、トイヴォネンの追悼でツールドコルスの後も出場を取りやめましたが、その後アレンとビアシオンの活躍で一旦アレンがドライバーズポイントでプジョーのカンクネンを猛追し、サンレモラリーではプジョー勢の車体の違反で失格をよそに、アレンをトップにランチア勢の1・2・3フィニッシュを決めました。次のRACでもアレンが勝って、ここで一点差でアレンが逆転し、最終戦のドライバーズタイトルのみがかかったオリンパスラリーでもアレンが優勝し、彼自身初となるタイトルを得ました。しかし、その後すぐに運営サイドがサンレモラリーそのものをタイトルの対象から外す裁定を下してしまい、アレンの優勝得点も消えてしまい、カンクネンが最終的にタイトルを奪取しました。トイヴォネンの死がなければ、間違いなくタイトルを取っていた車だけに、悲運の最強ラリーカーとして知られるようになりました。
 さて、Fさんのストラダーレは250psのパワーですが、走っている時の排気音は非常に静かで、それよりスーパーチャージャー等のノイズがまるで飛行機の音のように「キーン!」と響く独特の音を奏でます。何しろ200台生産で、世の中には180台程度しか出ませんでしたし、日本国内には10台にも満たないと言われている車だけに、非常に貴重なものです。絵を描いていたら、その細かい段差の多さに手を焼きましたが、仕上がってみると不思議とシンプルに見えるんですよね。デザインも独特ですが、カウルをガバッと持ち上げないと一見普通の3ドアハッチバックに見えて、もの凄い中身を想像できません。しかし、WRCファンには、その存在感はどの車よりも凄いものがある車ですね。

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