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TOPCON RS [トプコンカメラ]

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 しばらく前にTOPCON Rシリーズの解説をアップして以来、時間が経ってしまいましたが、ここらへんで続編になるシリーズをまとめてみたいと思います。今回は名機REスーパーが登場する直前にほんのわずかに生産された“徒花”、TOPCON RSについてまとめてみます。
 トプコンRが登場した1957年、まだまだ国産ペンタプリズム式一眼レフカメラはアサヒ・ペンタックス(AP)とミランダTしかありませんでしたが、この少し前の54年にライカM3ショックと言われるレンジファインダーカメラの完成形の登場で、国産高級機メーカーは苦戦を強いられることになりました。元々旭光学は一眼レフで始まったメーカーですから、距離計連動式フォーカルプレーン機は作っていませんでしたが、55年に国産初となるペンタプリズムファインダーを持つ「ペンタックス」を発表し、今後の国産メーカーの道標のような形になりました。これに対し、ニコンはSシリーズ、キヤノンはVシリーズ等のレンジファインダー機をトップに据えていましたが、いかんせん機構的に古く、最早ライカM3の牙城を崩すことは困難な状況に陥ってました。
 東京光学では面白いことに、レンジファインダー式カメラはトプコン35Bや35S等のレンズシャッター搭載モデルしか生産しておらず、ライカマウントのレンズだけをレオタックスに供給していました。その結果、ライカM3ショックにはほとんど無傷で、スムーズに新たなフィールドであるペンタプリズム式一眼レフカメラの生産に移行できました。そこでトプコン初のフォーカルプレーン機(正確には戦時中に生産していた航空写真用のカメラがフォーカルプレーンシャッターでしたが)であるTOPCON Rが登場し、その堅牢かつ高性能なレンズ描写力のおかげで、売れ行きも好調でした。しかし、58年になると、レンジファインダーを見切ったメーカーやレンズシャッター機しか作っていなかったメーカーも一眼レフ市場に参加して、より安くてコンパクトなカメラが一眼レフ機が多く登場します。さらに、この黎明期の頃には、ひと月もするとどこかのメーカーから新しい機構を採り入れたカメラがどんどん出てくるような状態ですから、あっと言う間にトプコンRも旧型となって売れ行きが悪くなりました。東京光学はこれを打開すべく、半自動絞りだったRのボディとエキザクタマウントのレンズを完全自動絞り化して、RIIとF Auto Topcorレンズを供給しました。機構的に考えるとかなりの進化ですが、他社の安価なモデルに少しでも対抗すべく、値段はかえって下げられて売られました。それでも厳しい戦いを強いられましたが、既にFオート・トプコールが開発されていた頃から、TTL測光(しかも開放測光)を見据えた設計がなされていました。すなわち、ただ自動絞り化するだけでなく、絞り値をカメラに伝達するピンを設け、さらにはどのレンズにも共通した絞り位置となるように設定し、それによって開放値をカメラ側に簡単に伝えることもできるように考えられていました。しかし、RIIは連動露出計のないモデルでしたから、あくまでこの絞り伝達ピンは後のTTL機を見据えたものでした。
 RIIでも売り上げが伸びない状況で、何とかこれを打破すべくTTL測光機構を搭載したカメラの開発を進める中、セレン光式露出計を外部装着して、一軸不回転式シャッターダイアルと連動させるようにしたトプコンRIIIを出してお茶を濁していたところ、旭光学では60年に実用性の点で無理があってそのままでは市販できない試作品でしたが、TTL測光のカメラを作って記者のみにちらりと発表していました。これが64年になって世に出たペンタックス・スポットマチック(SP)の原型です。トプコンでもTTL機は開発中でしたが、絞込み測光にならざるを得ないスクリューマウントのペンタックスとは異なり、初めからTTL開放測光のモデルを目指していました。この情報は最大のお得意様であるアメリカのチャールズ・べセラー商会にも届いていて、べセラー側からの強い要請もあって、なるべく早くTTL機を完成させたかったのですが、デザインはできていても最後の煮詰めの部分で手間取っている間に、とにかく新しいデザインでカメラを出すように言われて、後のREスーパーのデザインをほとんど利用し、外部露出計着脱式に変更したTOPCON RSが62年に登場しました。ただし、海外のみでの販売になり、しかもこのすぐ後にREスーパーが完成したので、あっと言う間に生産が打ち切られた空しい素性のカメラとなってしまいました。
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 レンズは既にREオート・トプコール5.8cm f1.8が装着されたものが多いですが、このレンズは絞りの方向がFオート・トプコールとは逆になりました。なぜかと言うと、せっかくTTL開放測光を見据えて設計したFオートトプコールの絞り伝達ピンですが、悲しいかな、まだ当然REスーパーの連動機構など全く考えられていない状況だったことによります。後にチェーンを使った絞りとシャッタースピードの連動機構を決定する際に、Fオート・トプコールのように向かって左側に開放絞りがくるものだとどうしても逆になってしまい、これを改めざるを得なかったんです。そして、鏡胴もボディと同じシルバーに変更されました。ちなみに、初期のモデルにはまだREオート・トプコールが完成しておらず、鏡胴だけ白くなったH-Fオート・トプコールが暫定的に装着されて売られました(後述)。
 トプコンRSは、簡単に言えば後のREスーパーのミラー背面に敷かれたCdS露出計がないマニュアル機で、画像のように当時他のメーカーも同じようにしていた単体の露出計をシャッターダイアルに絡むように取り付けて、シャッタースピードだけに連動させた外部測光機になります。ですから、ほとんど機構的にはRIIIと同じなのですが、フォーカルプレーンシャッターの幕速がアップされていますから、ストロボ使用時のXスピードが1/45秒から1/60秒に若干アップしています。また、プリズム着脱式なのはRシリーズも同じですが、RSはREスーパーと同じボディですから、既にファインダースクリーンの交換が可能になっていました。また、底面には電池Boxは当然ないものの、モータードライブのギアは付いていました。もちろんモータードライブ自体はまだ売られてはいませんでしたが。モータードライブのギアは皿型の蓋で覆われていて、反対側は本来電池Boxの蓋が同じ大きさでちょっと出っ張るのですが、電池の必要ないRSではこれの代わりにASA感度メモになるダイアルが埋め込まれています。ASA12から800までの8つの数字が内側に並び、外側のリングを回してそこに付けられた「・」を数字に合わせるだけのものです。13年12月21日TopconRS前期3-520.jpg
 ストロボ・フラッシュはREスーパーと基本的に同じ位置にアダプターを介して取り付けます。すなわち巻き戻しノブの基部にあるマウントを利用してスピゴットのようにアダプター側のリングを回して固定する仕組みです。REスーパーにはここに電気接点が設けられていて、後のストロボもノンコードで使えるようになっていましたが、RSでは電気接点のないただのマウントでした。
 その他はほとんどREスーパーと同じスペックで、巻き上げ角度も前期のREスーパーと同じく180度と大きい代わりに滑らかな巻き心地です。ファインダーも基本的には同じですが、TTL露出計がないので、内部にはそれ用の窓は当然設けられていません(軍艦部にも)。
 裏蓋を開けて巻き上げ軸を見ますと、これもREスーパーと同じもので、軸にあるスリットにフィルムの先端を差し挟むタイプのものです。
 シャッタースピードはB.1~1/1000秒で、この点も全く同じです。露出計の装着ですが、シャッターボタンにある周囲のベースの側面にある溝に露出計の逆「U」字形の爪を差し込みつつ、軍艦部前面の突起を合わせて落とし込み、シャッターダイアル上面の突起も露出計側のシャッターダイアル裏側の溝にはめ込むようになっています。これで上部からシャッタースピードを選択し、同時に動いてしまう下にあるASA感度リングを回して設定し直し、前部のスイッチダイアルを回して測光します。このダイアルには「CH L H OFF」とプリントされていて、CHはバッテリーチェック、Lは低輝度(ロー)、Hは高輝度(ハイ)を示します。測光したら窓の下の針が指す絞り値を読み取り、手動で絞りリングを回さねばなりませんが、ここで外部測光式露出計の問題点が生じます。つまり、ファインダーから目を離さないと露出計を確認できないので、写したい被写体とはまるで関係ないところを測光している可能性が高くなります。ですから、スポット測光のような角度のものは土台無理で、元々広範囲に測光するようになっているので、露出補正は必須になりますね。結局は正確な露出計とはなり得ませんので、あくまでも目安と言った使い方になります。
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 こちらのRSも同じ前期型です。製造番号は上のものが375で、こちらは450になります。露出計を外した状態はスッキリしていて直線的なイメージがREスーパーよりも強くなります。と言うのも、プリズムカバーに設けられた「TOPCON」のプレートが直接カバーに掘り込まれたものではなく、薄いアルミ板に横方向の線がたくさん刻まれたものの上に文字が彫られていて、この横線が直線的なイメージを強くしていますね。また、国内向けのREスーパー前期型と異なり、シャッターボタン・セルフタイマーレバーの置かれたプレートも洗濯板状の横方向のスリットが無数に刻まれたものが用いられていることも影響しています。
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 生産台数がとても少ないRSですが、不思議とわずかに異なる仕様の後期型が存在します。正直なところ全く同じと言っても差し支えないレベルの差なのですが、見比べてみるとプリズムカバーの「TOPCON」の文字が上記のモデルより大きくなっているのがお分かりでしょう? 製造番号は478ですから、たった28番しか変わらないのですが、この間にこうした微妙な変更がなされていました。ちなみに、このカメラに付いているH-F Auto Topcorは本来前期型のうち初期モデルに装着されていたものですから、この後期型ではREオート・トプコールが標準でした。
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 H-Fオート・トプコールは元々日立製作所に納入されたレンズで、まだREオート・トプコールが完成する前に鏡胴だけ新たにしたFオート・トプコールと言った塩梅でした。ですから、絞りの方向もREとは逆のままです。ただし、日立に納入したものは何らかの工業製品に用いる特殊カメラの部品であり、元々一般向けカメラのものではないので、H-FオートにはFオートとはちょっと異なったところがありました。すなわち、レンズの一番後ろの玉のさらに外側に専用フィルターを被せることができるようにネジの溝が刻まれている点です。このフィルターを装着すると、当然一眼レフカメラではミラーにリングが当たって使えませんが、面白いことに、H-Fオート・トプコール5.8cm f1.8と基本的に同じ構造のREオート・トプコール58mm f1.8には、70年代後半に生産が終了するまでこの「無用」のネジ山が刻まれ続けていました。
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 さて、短期間だけの生産だったRSにもちゃんと専用交換レンズが設けられていました。それが画像のH-Fオート・トプコール3.5cm f2.8と同100mm f2.8です。ただし、こちらは5.8cmと異なり、Fオート・トプコールのネームを変えただけのもので、デザインもFオートのままです。レンズ設計はどの焦点距離のものも変化していませんが、この後REオート・トプコールとして生まれ変わる際に、コーティングだけはマゼンタやシアン系の色からアンバー系に変更されました。そんな中であえてFオートとの違いを申しますと、先端の鏡胴のメッキが、つるつるのものからカメラボディと同じ荒いものに変わっています。ちなみに、RSのボディのメッキも荒目で、後のREスーパーの頃の細か目のメッキとは若干異なります。
 トプコンではRの時代から日常的に良く使われる広角の35mm・標準の58mm・望遠の100mmレンズのデザインを統一し、その一部分だけを変えて見分けられるようにしていました。R時代のオート・トプコールはシャッター/絞込みボタンのリングの色を変えていて、Fオートでは標準レンズの鏡胴が短くなって自ずから差別化されましたが、35mmと100mmは絞りリングの色で見分けられるようにしています。これをH-Fオートでも引き継いでいて、一つ上の画像で見れば分かりますが、100mmがシルバー、35mmが黒になっていますでしょ? これ以外ではぱっと見、どちらがどちらか分からないほど良く似たレンズです。
 トプコンRSは、その誕生のいきさつがお得意先からの強い要請で渋々生産したと言うものですから、東京光学としては当然直後に出た世界初のTTL測光でありながら開放測光を初めから実現していた名機REスーパーこそが正当なモデルとして考えていた訳で、RSは63年にREスーパーが登場したと同時にカタログから消え去りました。めまぐるしく新機構を身にまとったカメラが各社からいくつも出ていた中で、REスーパーの登場でその後の一眼レフカメラの骨格が完成したと言っても過言ではないでしょうが、それに至るわずかな隙間に咲いた徒花こそがこのトプコンRSでした。

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