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March 751 [Beta工具]


70年代半ばのモータースポーツはどれも面白かったですね。当時F1はかなり好きで、良く雑誌を読んでは意味も分からず「萌え~」状態でした(笑。
速かったのはやはりフェラーリのニキ・ラウダやヘスケスでその才能をアピールしてマクラーレンに引き抜かれてチャンピオンになったジェームス・ハント、タイレルの6輪車で常時表彰台に立っていたジョディ・シェクター、ずんぐりしたリジェ・マトラを時としてトップで走らせたジャック・ラフィット、ロータスで花開いたマリオ・アンドレッティなど、その後チャンピオンになった人も多く、後のセナやプロスト、シューマッハのような常勝ドライバーに優勝を独占されることなく、時としてあまりパッとしないチームが優勝をさらうことがありましたね。
その中でワテが最も印象に残っているドライバーが74年からF1に参戦したヴィットリオ・ブランビラと言うイタリア人で、モンツァ・ゴリラと呼ばれた暴れん坊です。
この人、イタリア国内のチャンピオンになって、ヨーロッパF2選手権でも年間2位になるなど、腕前は第一級でした。
F1に登ったのは彼個人をサポートしていた同じイタリアの工具メーカーで、多くのF1チームも使っていたBeta Utensili(ベータ工具)がF1でも全面的に彼のスポンサーを務めたからで、当時資金難に困っていたマーチが、マシンとスタッフごとベータに貸与するような形でブランビラをエースドライバーとして迎え入れます。
同じく初の女性ドライバーとして話題に上ったレラ・ロンバルディはエルフ石油のスポンサーを受けてマーチに乗ることになりました。
ところで、74年のマーチ741はとても不恰好で、スポーツカーノーズはまあいいとしても、ドライバーを囲むカウルの部分がボディから無理に付けたように角度の立ったものでした。
見た目と同様、戦績も悲しいもので、6位入賞がやっとと言うレベルでした。
翌年のマーチ751は、それに比べるとはるかにマシになりますが、やはり第一線で活躍するマシンと比べると、その力のなさは誰の目にも明らかでした。
そんな力のないマシンで上位を目指すためには、相当な無茶をしなければいけませんが、ブランビラはさすがに“漢”です。
しょっちゅう無茶をしてはマシンをぶっ壊してリタイアしてましたっけ。
でも、だからと言って安全に走っていては如何ともし難いマシンで、無難に走って10位前後を目指しても意味がありません。
ニキ・ラウダが速いマシンでクレバーに走って優勝を勝ち取るのは、彼の才能からすれば問題のないことでしょうが、フェラーリではなくマーチに乗っていたら常勝はいくら何でも無理だったでしょう。
そんな車で、ブランビラは皆が危険な状況であまり無理をしない時に、これぞチャンスとばかり俄然気合を入れて走っていまして、リタイアしなければ結構入賞できる時もありました。
一度PPも取ったことがありましたが、10月のオーストリアGPでは優勝しています。
この時はもの凄い雨で、それでもレースを強行する運営側と、中止を要求するドライバー側で一悶着ありましたが、レースが決定してからは皆プロですから全力を出そうとします。
しかし、雨足がもっと強まり、とてもまともに走れない状況の中で、ただ一人ブランビラのみが猛烈にアタックしてトップを走り、周囲を驚かせました。
さすがに運営側もこれ以上レースを続行するのは無理と判断して、レースが半分に満たないところで急遽チェッカーフラッグを振りました。
突然のことで「ん?終わりなのか?じゃあ、オレが優勝したんだな!ヤッター!!」と言うノリで我を忘れたんでしょう。
直後にハイドロ状態でスリップしてクラッシュし、ノーズのもぎ取れたマーチ751でガンガン手を挙げて喜ぶブランビラに「こう言うドライバーに頑張ってもらいたいな~」と思ったもんです。
それにしても、スリップ寸前のギリギリ状態で攻めていたブランビラ、「こう言う時しかオレにはチャンスがないんだから、ヤルしかない」と言う気合がもたらした優勝ですから、性能的に優秀なマシンで勝ち取ったポイントに比べ、半分になったその短縮レースのポイントの方が重みがありますね。
その後、ブランビラはまた弱小チームのサーティースTS19に乗り、これと言った戦績を上げられず、78年にロニー・ピーターソンが死亡する事故に巻き込まれて彼も瀕死の重傷を負います。
当初ピーターソンよりブランビラの方が危険な状態だったそうですが、80年にアルファロメオのチームからカムバックしてスポット的に何戦か出場して引退しました。
画像は先日見付けたブランビラ優勝時のマーチ751のミニカーですが、こうしたものが作られているなんて、思えば凄いことですよね。
しっかりレインタイヤを履いていて、作りもとても良く、我が家のカメラ棚にランチアのミニカーと共に並んでいます。


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くっさん。

トプ・ガバチョ さんのBeta好きの始まりエピソードですね(^^)
僕は、本チャンを知りませんが、
公園で、6輪タイレルやマーチF2、リジェでレースをしていましたよ。
昔の方が面白いと思うのは、いろいろ試行錯誤して、いろんなアイディアを試していたからでしょうね。突き詰めてしまうと、ひとつの形に収束してしまって、面白みが減ってしまいます。
by くっさん。 (2007-09-13 13:20) 

トプ・ガバチョ

くっさん、こんばんは!

考えてみると、このドライバーもイタリア人ですから、無意識にイタモノ好きになっている自分がいます(^^)
90年から工具もBetaのもを色々購入し、散財した覚えがありますが、
幸いなことに市内にあるM工具さんとつながりがあって、
随分安く購入させて頂いてました。
工具としてのBetaも大変使い勝手が良くて、やはり最も多用するラチェットやトルクレンチ、メガネレンチ・スパナの類は最高です。
工具がさわりたくてバイクをいじってたようなところさえありました(笑。
by トプ・ガバチョ (2007-09-13 21:43) 

ヒロッキー

昔のF1のことは、あまり知りませんが、6輪のタイレルは覚えています。幼い時の話ですが、6輪のミニカーが私のお気に入りでした。

ブランビアの話、とても面白いですね。熱血イタリアンと言う感じがします。今のF1では弱小チームは入賞することさえ難しいですからね。
その分、昔のF1の方が見ごたえあるのでしょうか。
オーバーテイクが少なく、ピットで順位が変わる今のF1、何とかしないと、どんどん面白くないものになりそうです。
by ヒロッキー (2007-09-14 15:02) 

トプ・ガバチョ

ヒロッキーさん、こんにちは!

タイレルの6輪車はプロジェクト34、通称P34ですね。
あれは当時最も好きだったF1カーでした。
76年からデビューですが、アレが出るとマーチも6輪車を作りますが、
ナニを考えたかリアを4輪にしてやがりまして、
もちろん、使い物になりませんでした。
でも、「発想は頂くが、真似はしないぞ」と言う気概が感じられますね。
こんなアフォなことを真面目にやっちゃうのって、ナンか好き(^^)
それに比べて今のF1は、皆コンピューターで設計されているせいか、
同じような形のものばかり…。
興味がどうしても湧きません。
それに比べて当時は日本のマキなんて言うチームがありまして、
とんでもなく遅いF101と言うマシンを、どんなに恥をかいても走らせてました。
ほとんど予選を通過したことがない上、ニュルブルクリンクでニキ・ラウダが初の6分台をたたき出してP.Pを取った時、8分半でDNQ(Do Not Qualify)となっていましたが、今見たら「DQN(ドキュン)」に見えるでしょうね(笑。
正直言ってシチズンのスポンサーを受けて、日本ではホンダに次ぐマシンと言うことで日本人の期待を背負って走ってコレでは、当時「もういいよ…。」と感じた人も多かったのでは。
でも、それでも何とか走らせようとした彼らもまた、「漢」でしたね。
ホント面白い頃でしたよ。
by トプ・ガバチョ (2007-09-14 17:17) 

よリよリ

私のヒーローは実は・・・
ジェームスハントなんです。
黒いメットの3本ラインに「James Hunt」!が
赤白のテキサコ・マルボロ・マクラーレン!M23に映えてました。

F1レーサーらしくない、
どちらかというとこ汚い(笑)のに速い!
それがかっこよかった。
好きだったんですよ~(しみじみ~

ポスターとかカードとかもあったんですけど、
残しておけば・・・と大後悔です。

当時は親戚の兄ちゃんから、
1年遅れのオートスポーツをもらってまして、
それではまりました。
それも残しておけば・・・orz



ベータはホイール用のトルクレンチだけですが使ってます。
機能もさることながら、
やはりデザイン、
そして色がやはりイタリアですね。

F1は今も大好きです。
数10年前の1秒が今の0.1秒に凝縮されているような気がします。
コンピューターといっても、
それを操って最適解をひっぱり出すのは、人間。
結局、変わらない気がします。
マシンデザインはパッと見、
似てますが、
よーく見るとうなるところも多々あります。

といっても、
やはりパッシングは確実に減ったし、
大人しい走りが多い・・・

来年からトラクションコントロールがすべて禁止になり、
かなりマニュアルに戻ります。
少し面白さが戻ってくるのではないかと期待してます。

ちょうど今週末は、
2年ぶりに復活したスパ・フランコルシャンです!!
by よリよリ (2007-09-14 18:47) 

トプ・ガバチョ

よりよりさん、こんばんは!

よりよりさんのヒーローはジェームス・ハントでしたか。
あののっぺらぼうなヘスケスで、上位を喰ってましたね。
見た目にロンドンのロック野郎みたいで、実際運転も泥臭いタイプで強かったですね。
考えてみると、あの頃のヘスケスのサスペンションのスプリングは、ラバーコーンだったんですよね。
ロータスはトーションバーだったし、全体のデザインのみならず、パーツそのものが大幅に異なるものだったりして、本当に色々なアイデアに溢れていたように思います。
当然、今のものにも良く観察すると違いは多いのでしょうが、何かこう一目で分かるのはそのカラーリングの違いだけのようで、セナ以降はほとんどF1を見なくなっちゃいました。
ドライバーはブラジル人のエマーソン・フィッティバルディ、アルゼンチン人のカルロス・ロイテマン、オーストリア人のニキ・ラウダ、フランス人のジャック・ラフィットやJ・Pジャリエにバトリック・デパイエ、イタリア人のヴィットリオ・ブランビラやアルトゥーロ・メルツァリオ、スイス人のクレイ・レガツォーニ、南アフリカ人のジョディー・シェクター、アメリカ人のマリオ・アンドレッティやマーク・ダナヒュー、イギリス人のジェームス・ハントやジョン・ワトソン、スウェーデン人のロニー・ピーターソン、西ドイツ人のハンス・シュトックやヨッヘン・マスなど、実に多国籍。
もちろん日本人も日本GPのスポット・ドライバーではなく、何戦かマキで走ってことごとく予選落ちした鮒子田寛もいました(^^)
ワテは物持ちがいいのか、当時買って持っていたCGやオート・スポーツなどの車本がほとんど残ってます(^^)v
by トプ・ガバチョ (2007-09-14 21:48) 

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